大阪地方裁判所 昭和36年(わ)3698号 判決 1962年7月24日
被告人 山田実こと李八岩
大一〇・一・一六生 自動車板金工
主文
被告人は無罪
理由
本件公訴事実は、「被告人は自己の受けた交通事故による右膝関骨折治療打ち切りのことでノイローゼ気味となつていたところ昭和三六年六月一六日午前四時三〇分頃大阪府吹田市榎阪三六九番地アパートやよい荘二二号室の自宅で就寝中妻朱二京(当二五年)から首をしめられて殺されるものと誤信し、同女の頸部を両手で扼圧しよつて同女を即時同所で頸部扼圧による窒息死に至らしめたものである」というのであり、検察官は被告人の右所為は殺人罪に該当すると主張しているので考えて見るのに、被告人の検察官に対する昭和三六年六月二六日付供述調書及び司法警察員に対する昭和三六年六月一六日付、同月二〇日付各供述調書並びに司法警察員作成の検証調書、鑑定人松倉豊治作成の鑑定書によれば右公訴事実表示の日時場所において朱二京が頸部扼圧による窒息のため死亡するに至つたこと、右朱二京の窒息死は被告人が同人の首をしめたことに起因することが認められる。
そこで更に被告人が右の如き所為に及んだ動機及びその際の心情等について考察して見るのに、被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員に対する昭和三六年六月一六日付、同月二〇日付、検察官に対する同月二六日付各供述調書、友政毅の司法警察員に対する供述調書、鑑定人住田新平作成の鑑定書、鑑定人長山泰政作成の鑑定書、同鑑定人の当公判廷における供述を綜合すれば、被告人は、昭和三四年六月頃から大阪市東淀川区大阪トヨペツト株式会社十三工場で同会社の自動車部品製作の下請をしている友栄製作所こと友政信司のもとで板金工として稼動し、同年一二月朱二京と結婚して平穏な生活を送つていたところ、昭和三五年四月出勤途上交通事故により右膝関節複雑骨折の傷害を受けたため稼働不能となつたが、右友政信司の好意的な取り扱いで従前どおり給料の支給を受けられることとなつたので右負傷の治療に専念していたものの、約一年余を経過するも右膝関節硬直のため、歩行不自由なまゝ早急には治癒する見込みもないところから、昭和三六年六月初頃右友政と相談のうえ一応治療を打切るとともに、右受傷による障害保険金の請求手続をとることとしたが、妻の朱二京から右の如き措置をとつたことを非難せられ、被告人自身も右保険金請求について充分な理解ができないため、右友政の真意を了解できないまゝ同人に対して一抹の不信を抱くやうになり、右膝疾患の治癒しないことによる将来の生活への不安、焦燥も加わつて、右保険金請求の可否についてその去就に迷い、本件発生数日前頃から日夜懊悩して不眠勝な毎日を送つているうち、被告人が以前罹患していた覚醒剤慢性中毒の後遺症としての妄想性曲解や妄想性被害念慮に捉われて心的混乱を招き過度な心的緊張のため事態を正視することが困難な状態に陥つていたところ、本件発生当夜である昭和三六年六月一六日夜も肩書自宅で妻の朱二京とともに就寝したものの不安、焦燥を伴う心的緊張のため熟睡できず、浅眠状態にあつたところ同日午前四時三〇分頃色の黒い男が三人程突如室内に侵入し被告人を殺そうとして後側から首をしめつけて来る夢を見て極度の恐怖感に襲われるまゝ、被告人は右の男達から殺されるのを防ぐため先制して攻撃を加えるつもりで、後に振り向くと同時に右の男の首を両手で強くしめつけたところ、被告人が右の男と思つていたのが、被告人の側に寝ていた妻の朱二京であつたため同人を頸部扼圧による窒息のため死亡するに至らしめたこと、当時被告人は右の如き恐怖感を伴う夢から醒めたものの、居室には薄暗い豆電球がついているだけで、ものの見分けも定かでない状況にあつたことも作用して、未だ完全に覚醒するまでには至らない状態で、その際どんな場所で、どんな事態のもとにあるかを静思し判断して統制のある行動をするだけの余裕もないまゝ、右の如き行動に及んでしまつたこと、被告人としては右の如き半覚醒下の意識状態にあつたため妻の朱二京を同人であると認識できない状況にあつたこと、即ち被告人は夢から覚醒したものの意識は通常の状態にまで回復しないまゝ運動機能のみ完全に回復し、強度の恐怖観念を伴つた不完全な意識で夢の中に現われた男の首を半ば無意識的にしめたところ妻の朱二京の首をしめていたのであつて、当時被告人は外界の現存する事実を確実に認識したうえ、それに基いて意識的、自覚的に行動したとは言えないのであつて、被告人は自己の所為について意思支配の自由をもたず、また自己の行動を判断、理解してこれを抑制しうる意識状態にはなかつたことが認められる。
もつとも被告人の司法警察員に対する自首調書には「側に寝ていた妻の手が首にあつたので、妻が首をしめに来たと思つて殺されてはいけないと思い妻の首に両手をかけてしめ殺した」旨の、また検察官に対する昭和三六年九月八日付供述調書には「妻が自分の睾丸を握つて来て痛かつたので、妻さえも自分を殺そうとするのではないかと恐しく思つた。うとうとしているうちに妻に殺されると思いその首をしめた」旨の各供述が存するが、右の各供述が、前記認定の如き被告人の本件発生当時の意識状態に照らし、果してその真意を述べたものであるかは極めて疑わしく、直ちに信用するには足りないものであつて、右各供述の存在は未だ前記認定を動かすに足りるものとは言い得ない。
そこで、右認定の如き意識状態のもとになされた被告人の本件所為が、検察官主張の如く殺人罪に該当する「人を殺す」行為と言い得るかについて検討して見るのに、およそ刑罰の対象たる犯罪とは刑罰法規に規定された構成要件を充足する違法、有責の行為であり、右構成要件は違法、有責な行為を類型化した観念形象であつて、刑罰法規において科刑の原由として概念的に規定されたものであるから、ある行為が犯罪として成立する為には、先づその行為が構成要件に該当しなければならない。そして行為者のある外部的挙動がその者の行為と許価され得るのは、その挙動が行為者の意思によつて支配せられているからであつて、右の意思支配が存しない場合には行為も存しないと言うべきであり、ある行為が刑罰法規の構成要件に該当するか否かは、右法規によつて要求される規範に従つて行為者が自らの行動を統制し得る意思の働らき即ち規範意識の活動に基ずいてなされた行為を対象としてなされるべきであつて、行為者は自ら意識的自覚的になそうとする行動については、右の規範意識によつてこれを統制し得る可能性を有しているが、右の如き任意の意思に支配されていない非自覚的な行動については、その規範意識も活動の余地がなく、これを統制し得る機会も持たないのであるから、かかる行動を刑罰の対象とすることはできず、右の任意の意思に基く支配可能な行動のみが、刑罰法規の規定された構成要件該当性の有無についての判断の対象とされるべきであつて、右の任意の意思を欠く行動は、行為者についてその責任能力の有無を論ずるまでもなく、刑罰法規の対象たる行為そのものに該当しないと解すべきである。
よつて、前記認定の如く、自己の行動に対する自覚的な意識がなく、従つて任意の意思に基いて自己の行動を抑制、支配し得る余地も存しない意識状態のもとになされた被告人の本件所為は、検察官主張の人を殺害するという殺人罪の構成要件に該当する行為と言えないのみならず、およそ刑罰法規の対象たり得る行為そのものにも該らないと言わざるを得ない。結局、本件公訴事実については、被告人は罪とならないことに帰するので、刑事訴訟法第三三六条によつて無罪を言い渡すべく、主文のとおり判決する。
(裁判官 青木英五郎 梨岡輝彦 永山博英)